第24回 日本人難民収容所の過酷な体験を語り継ぐ増田昭一さん
「満州の星くずと散った子供たちの遺書」などの著者、増田昭一さんは 学徒としてソ連の戦車に突撃する部隊に急きょ編入され、九死に一生を得ます。 そして戦後は旧満州の新京に作られたソ連の難民収容所に収容されました。 しかしそこは、子供たちが飢えや寒さ、病気で次々に命を落とす厳しい場所でした。 [更新 9月3日] [TIME 65:48]

「満州の星くずと散った子供たちの遺書」などの著者、増田昭一さんは 学徒としてソ連の戦車に突撃する部隊に急きょ編入され、九死に一生を得ます。 そして戦後は旧満州の新京に作られたソ連の難民収容所に収容されました。 しかしそこは、子供たちが飢えや寒さ、病気で次々に命を落とす厳しい場所でした。 [更新 9月3日] [TIME 65:48]
沖縄から本土に向かう途中、米軍の攻撃で沈没した悲劇の疎開船「対馬丸」。 学童ら1788名中1482名が命を落としたこの大惨事から生還した数少ない一人が平良啓子さんです。 Podcastでは、沈没事故から生還後の平良さんの数奇な出会いや沖縄戦での苦闘など 放送ではご紹介できなかったお話もお聴きいただけます。 [更新 8月27日] [TIME 74:16]
玉音放送目前の14日夜から空襲を受けた埼玉県熊谷市。焼夷弾の雨の中を逃げ延びた森村さんが 翌朝見た残酷な光景が社会派作家を生むきっかけともなりました。 Podcastでは、森村さんの反戦、平和への揺るぎない思いが、太平洋戦争の検証とともに語られます。 [更新 8月20日] [TIME 69:07]
松原淳さんは自宅で兄とともに昼ご飯の「すいとん」を作っていたときに、 原爆の閃光が自宅の窓を覆いました。 しかし爆風の瞬間、兄が咄嗟に弟の身を守ってくれたのです。 松原さんの語る原爆の話は常に家族の物語です。 [更新 8月18日] [TIME 49:58]
1945年8月6日、8時15分。上空600メートルで炸裂した原子爆弾は、 一瞬にして広島の街を壊滅させました。 朝、腹痛を訴えた大岩さんは、母の「今日は学校を休みなさい」の一言が生死を分けました。 大岩さんの脳裏に浮かぶのは前日喧嘩をした親友の姿。 70年前の永遠の別れから、今も仲直りができていません。 [更新 8月6日] [TIME 71:02]
長崎県の対馬は海上の要所として本土から部隊が駐屯。学校は兵舎として接収され、 宮良さんの自宅にも士官達が寝泊りしました。 Podcastでは、戦時下の対馬の話だけでなく、 宮良さんご夫妻が戦後取材し「湖南丸と沖縄の少年たち」という絵本にもした 湖南丸の悲劇や、戦時中の朝鮮半島、台湾の事など多岐に渡り語って頂いています。 [更新 7月30日] [TIME 64:34]
元沖縄県議会議員の宮良作さんは、日本の植民地となっていた台湾で少年時代を過ごしました。 Podcastでは、宮良さんが長年に渡り調査を続けてきた様々な離島の戦争の記録、 「軍神と呼ばれた故郷・与那国島出身の大舛松市大尉の話」、 「波照間島などの人たちを苦しめた戦争マラリヤの話」など、 離島に横たわる悲しい戦争の話を語って頂いています。 [更新 7月23日] [TIME 64:18]
戦後50年談話を発表した村山元総理。後半では、兵役を体験した村山元総理の戦争観、 平和観とともに、政治家になる気もなかった村山さんがなぜ総理の座に着くことになったのか 赤裸々に語ってくれました。 [更新 7月16日] [TIME 60:15]
陸軍の軍曹だった1945年の7月、アメリカの飛行機が上空から撒いたビラでポツダム宣言を読み 日本の敗戦を悟った村山元総理。まさか自分がその半世紀後に総理大臣として戦後50年談話を 発表することになるとは考えてもいませんでした。 [更新 7月16日] [TIME 50:17]
映画や小説でも知られるひめゆり学徒隊は、 負傷した兵士の看護活動を主な任務に編成された学徒隊でした。 死んでいった友人達の声、終戦を告げた米軍通訳の声、色々な人達の声を 今に伝えながらひめゆり祈念館の館長、島袋淑子さんは平和の尊さを訴えます。 [更新 7月9日] [TIME 94:20]
8年間、沖縄県知事を務めた大田昌秀さんは、鉄血勤皇隊・千早隊の一員として 地獄絵図のような戦場の光景を目のあたりにして来ました。 戦後の沖縄の変遷、そして沖縄戦終結の日の定説に対する異論など 多岐に渡る大田さんの語りは、沖縄の歴史を知る貴重な資料とも言えます。 今回は前半と後半の2部構成です [更新 7月2日] [TIME 43:32]
8年間、沖縄県知事を務めた大田昌秀さんは、鉄血勤皇隊・千早隊の一員として 地獄絵図のような戦場の光景を目のあたりにして来ました。 戦後の沖縄の変遷、そして沖縄戦終結の日の定説に対する異論など 多岐に渡る大田さんの語りは、沖縄の歴史を知る貴重な資料とも言えます。 今回は前半と後半の2部構成です [更新 7月2日] [TIME 71:01]
今回は60歳を過ぎてから25年にわたって、仲間の遺骨を探し集めた、 元日本軍兵士、西村幸吉さんの話です。 出兵した将兵の9割が生きて戻れなかったと言われている東部ニューギニア戦線。 西村さんも22歳の夏に、その最前線で壮絶に戦った一人でした。 [更新 6月25日] [TIME 73:31]
毒ガス工場の島に学徒動員された岡田黎子さんは 戦争が終わりほっとしたのもつかの間、救護のため被爆地・広島に入り 内部被ばくする悲劇にも見舞われます。 岡田さんの体験、そして平和への熱いメッセージをお送りします。 [更新 6月18日] [TIME 76:03]
慶大在学中に学徒動員で士官クラスとなった岩井さん。子供の頃から国家主義を疎んじ、 アメリカとの戦争にも勝てるとは思っていなかった岩井さんが、なぜ人間魚雷「回天」の乗組員に 志願したのか?その理由を語ってくれます。戦後は翻訳者として活躍した岩井さん、 アーサーさんとは哲学や文学の世界でも議論が盛り上がりました。 [更新 6月11日] [TIME 75:31]
「東洋一」と称され、戦時中零戦などのエンジンを 月に2千台生産していた中島飛行機武蔵製作所とは 一体どのような施設で、工員たちはどのように生活していたのか? 彼らは上空に姿を見せたB29を見て何を思ったのか? 古内さんの戦争体験は、戦場体験とも空襲体験とも視点の違う戦争体験です。 その証言にアーサーさんも驚きを持って聞き入りました。 パンプキン爆弾の話、戦後中島飛行機の遺産がバイクに姿を変えていった話など 放送でご紹介できなかった話が満載です。 [更新 6月4日] [TIME 48:50]
奄美群島・喜界島出身の詩人で東洋大学名誉教授の郡山直さん。 アメリカの教科書にもその詩が紹介された郡山さんの戦中、戦後の記憶は、 徴兵の話、闇船のエピソード、留学生としてアメリカに向かった話、 そしてアメリカで故郷の人に救われた思い出など多彩です。 当時の奄美や沖縄の景色、アメリカの風景が生き生きと浮かんできます。 [更新 5月28日] [TIME 45:26]
今回は10円カレーでおなじみの日比谷松本楼社長・小坂哲瑯さん。公園がまさに自然や昆虫で溢れていた戦前、軍が高射砲を設置し空襲で燃え上がった戦中、松本楼がGHQに接収された戦後。 アーサーさんが「究極の定点観測」と呼んだ松本楼の物語はまさに東京という街の移ろいそのものです。 [更新 5月21日] [TIME 54:06]
戦前から落語界に身を置くただ一人の現役落語家・四代目三遊亭金馬師匠。 噺家になった経緯や戦時中の「禁演落語」について、戦後二つ目に昇進した驚きの理由から「八代目林家正蔵戦中日記」の話まで放送では紹介しきれなかった逸話が満載です! [更新 5月14日] [TIME 47:00]
アニメーション映画の巨匠、高畑監督は反戦、平和、命を尊ぶ言論でも知られています。小学4年生の時に経験した岡山空襲から戦後の教師たちの変化まで、映画を観るように活き活きと語り続けて頂きました。放送では長くお届けできなかった、高畑さんの「憲法九条への思い」を是非Podcastで受け止めて下さい。 [更新 5月7日] [TIME 36:30]
時代の軋みを最前線で撮り続けてきた94歳の現役報道写真家、福島菊次郎さん。馬の手入れ係として徴兵された福島さんは、自爆兵として太平洋戦争を生き残りました。その数奇な運命を辿ります。 [更新 4月30日] [TIME 60:53]
長野県上田市の小高い丘の上に建つ「無言館」は「戦没画学生の慰霊」という他に類を見ない美術館です。今回は館長の窪島誠一郎にお話を伺いました。 [更新 4月23日] [TIME 45:25]
今回は落語家・初代林家三平さんの妻で、エッセイスト、戦争の語り部として活動されている海老名香葉子さんの根岸のご自宅を訪ね、東京大空襲の話を伺いました。この空襲で両親、兄弟をはじめ親族18人を亡くした海老名さんの思いはただひたすらに「平和」です。 [更新 4月14日] [TIME 39:17]
アメリカ生まれの詩人、アーサー・ビナードが70年前の戦争を訪ねる旅に出ました。 来日して25年、中原中也賞を受賞するなど詩の世界で活躍してきた アーサーさんの目線は、世界中で平和な暮らしを願う「普通の市民」の目線です。 いろいろな立場で戦争と向き合った皆さんの話の中に、未来を良くする智恵を探し求めてアーサーさんはマイクを片手に70年前の戦争の語り部を訪ね歩きます。 一回目は、アーサーさんが自分自身を語ります。 [更新 4月14日] [TIME 11:56]